シリーズ -昔フィルムで撮った写真- [写真]
1997年7月、カンボジアが弾けた。
首都プノンペンは二つの政党が権力を争い、市街戦と化した。
政府兵士の略奪行為、裁判無き処刑、戦闘と混沌とした数日間だった。
被災する市民
前線へ向かう戦車
最前線
爆風で死んだ犬
平和とはけして天から降ってくるものじゃないんです。
2008-02-05 13:17
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コメント(2)
1997年7月、カンボジアが弾けた。
首都プノンペンは二つの政党が権力を争い、市街戦と化した。
政府兵士の略奪行為、裁判無き処刑、戦闘と混沌とした数日間だった。
被災する市民
前線へ向かう戦車
最前線
爆風で死んだ犬
平和とはけして天から降ってくるものじゃないんです。
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私がよく訪れていたのは、1995年から1997年前でした。
無知で無防備にあちこち歩きまわっていたけれど、一番カンボジアが
安定していた時期だったのかもしれません。
beeさんの写真を見ていたら、ツールスレンも思いだしました。
平凡で穏やかな日々を過ごせること、空から降ってくるものが
自然の雪であること…。
当たり前と思っちゃいけない日常生活に感謝です。
by CHERRY (2008-02-06 23:53)
CHERRYさん、
私も90年代前半からアジアに足を伸ばしていましたが、イーストティモールやカシミールといった危険なところ。
比較的カンボジアは安定していましたが、この年は二つの政党が小競り合いしていましたが、5月ごろから単発的な事件があり、7月に大きく弾けました。
飛行場は攻撃され運がよく(?)他の報道関係者が入るのが遅かったので、いい写真が撮れました。仕事で駐在していた日本人の方が市街戦のロケット弾に被弾し、命を落としました。
後で知ったのですが、当時邦人保護のために自衛隊の飛行機を出す出さないで旧社会党が政治的問題にしていましたが、各国は現地に駐在する自国民を守るために対応していました。
それに引き換え日本大使館は・・・。情報も全てCNNやボイススアメリカからのニュースで独自の情報網もなく、まったくあてにできないようでした。
ともかく、カンボジアに対してのODAは世界で一番の援助国ということもありながら、政権に中枢になんのコネクションもないことに驚きました。
ちょっと長くなりましたが、平和って他人任せじゃいけないってことですね
by Bee (2008-02-07 12:52)